2050年を考える @盛岡Dot project

2050年を考える @盛岡Dot project

例えば 日本の人口は3300万人減少して、独居老人は約2倍に。

秋田県でいうと人口40万人減の60万人以下。

さらに横手市で言えば、市内に小学校が1校で足りる。

これが33年後。

国土交通省や秋田県が示すデータでみる2050年という未来。

 

先日、dot project にて話し合われた「Dotの未来」

 

僕たちはどうなっているのか?なんてふと思うと、せめてのんびり暮らせていることを願いたい、、、くらいしか、正直、今すぐはわからない。でも真剣に、「子どもたち」というフィルターで思うといろんなことがこのままでいいのかと思う。結婚して孫ができてるだろうか?人が少なくても仕事はあるだろうか?必要とされる人として生きているだろうか?しっかりお金はあるだろうか?

今より無駄使いをセーブしないとな。せめて普通に生活できる家は残しておきたいな。

となると光熱費に稼いだ給料が吸い取られるような生活だけはさせたくない。

し、高齢の自分もバカスカ灯油代とか電気代に少ない年金を払いたくはない。

 

などなど。

 

 

3年前に壁厚を厚くし断熱盛り盛りにし、薪ストーブを取り入れた自宅を見よう見まねで作ったのもそんな理由からだ。そこにたどり着いたのは、床下FFストーブを取り入れた10年近く前に西方氏や北方研から取り寄せた本を読むのが面白かったからで、身近な者に思えたのは横手のMIRAIで毎週のように未来を正直に話し聞いていたからだと思う。

今すぐは見に覚えのないことでも、自分のことのように仮定して真剣に考えてみると、バカみたいなたとえかも知れないがうまく洗脳されてしまう。もちろん悪いことではなく、知らないほうが幸せなんてことはマイナスで、知っていたほうが選択肢がプラスされる。あとで後悔しない生き方ができると感じている。

みんな幸せなのがいいに決まっているが、まずは家族くらいがのほほんと暮らせるように、うまく仕向けてあげれるよう(もちろんいい意味で)、立ち位置とこれからの方向をしっかりしたいものだと思う今日このごろなのです。

 

ということで、
原点回帰して自給自足生活を送るか、文明の利器を利用しながらも少ない給料で快適に過ごせるか。
どちらにしろサスティナブルな(持続可能な)生活をおくる必要性を今一度、再確認。

 

 

参考

Contents|岩村建匠について