古くても新しいこと

タイトルとは真逆の写真だけど、

 

古くなったら、ちゃんと「古いのか、そろそろ時期だな」とか気づかせてくれるからこそ使い続けていて問題ないわけで、エイジングされて「新しさがない=駄目」とすることがいつしか良くないことのように思っているところも確かにあるけれど、「当時と変わったな。そろそろメンテナンス必要かもな」とシグナルを送ってるからこそ、ちゃんとメンテナンスができて使い続けることができるのだななんて思っているのです。
でもそこには日々の経験やらの蓄積で対処できる方法を知っておく必要があるわけで、自分(みんな自ら)の住まいのこととなると多少なりともDIYというのは普通にあるべきなんだと思うのです。

自分たちの仕事もちゃんと長く使い続けれる仕事であるということはどういうことなのかなと、考えさせられる現場に出会う機会があったもので、ふと自分の今に当てはめて考えさせられました。

 

今、ちゃんと、この先の自分に偽りなく。

 

なんて思うと正解なんて無いのかもしれないけれど、ちゃんと今考えられる知識はいっぱい仕入れとかないと、この先大変な目に合うようなきもして、いつもアンテナ張らないとなと再確認の毎日。

 

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つまり何が言いたいかというと、自分でもコントロールできないピカピカの製品に左右されるのは、前提すら無い更新となり、対処のしようもない。自分でコントロールできるからこそつづくのだなという、表面ペライチの見た目が勝負の材料にものすごく疑問なんです。自分はそう思うのです。

古いのは古くならなくちゃ。でないと、何年経っても咲き続けているイミテーションのバラの花を見てるようで気持ち悪い。それが素直なんだと思うのです。

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