昭和のはじめころまで、商いで財を成し、この通りの多く(約50件ほど)には蔵を構えた屋敷がたち並びました。雪深いこの横手市増田には、その蔵をさらに雪から守るため「鞘(さや)」と呼ばれる「蔵を守る建物」で蔵を覆うようになりました。まさしくそれが内蔵と呼ばれる所以で、この増田が伝統的建造物群保存地区として選定される特徴の理由の一つです。必然的に通りからは見ることができない、居宅の奥にそびえる蔵たちが、今でもたくさん残っています。
蔵の日の今日は、町並みに点在する蔵の多くを、そろって見学することができる年に一度の蔵の開放日。たくさんの観光客や、左官や大工の技を見たい玄人まで、賑わっていました。
自分はヘリテージマネージャーとなってから関わることが増えた増田町。今年は、旧勇駒酒造さんの建物の案内役として関わることができました。
散策ツアー参加の方へ、自分の関わる建物の説明をするという機会。なかなか言いたいことがたくさんあってむずかしいものでした笑
さて、自分としての今日の目標は実は別であって、普段見れないものを見る。こと。学生の頃から、せっかくだから知らないものを見てみたい欲が勝ってしまい、所属しているまちなみ研究会の方とのお話もさておき、まちあるきに没頭。。。
普段は見過ごしていたものをじっくり眺めたり
(そもそも裏に行けたのは、今日が初めてで)
いつもの景色が違って見えたり
(旬菜みそ茶屋 くらを さんの奥、宝暦蔵では地元の学校のコンサートが行われていました)
散策モードの視点で見ると、面白いものに気づいてしまったり
(どうみても顔にしか見えないので、2回も通って写真)
よく見るとしっかりちゃんと手が加えられている事も知りました
(十字のホゾなのか、斜め二本のホゾなのか。。。)
本物は時を経てもきちんとそこにあるもので、うわべのその場しのぎはどこか違うところをいつの間にかむいている。そんなことを改めて思いました。すぐには答えがでないのも本物であり、ピカピカさの度合いが良いとかそういうのはなんだか虚しくて、正直、見学時間も短めでした。逆に気になったもののすべてが、やつれてもきちんと息をしていて、そこにちゃんと背筋を伸ばして座っているというか。そういう風格。ぶっちゃけていってしまえば、騙されて見えちゃうようなものはなんだか虚しくて、知恵が詰まっていて理由が見えるものはきちんとしている。そう感じました。
「普段は見せてないけど、あんたみたいな人になら見てもらいたいね」なんて言ってくれた当主に二階に上がらせてもらい見上げた船底天井。シンメトリーでもなければ、もちろん水平などない施工しがいのあるもので、大工はさぞ考えたことだろうなと思い巡らす事ができるもの。うれしかった。
自分たちはこの先きちんと評価されるべき仕事をしているものなのだろうか?
考えさせられます。